『境界を超える対話』

第一回日本トランスパーソナル学会会議開催に向けて

安藤 治

 わが国に「トランスパーソナル」あるいは「トランスパーソナル心理学」が紹介、 導入されるようになって、すでに約十年が経過した。この間、吉福伸逸氏を中心に、 『意識のスペクトル』『アートマン・プロジェクト』( ウィルバー・春秋社)『トラ ンスパーソナル宣言』(ウォルシュ・ヴォーン編・春秋社)『脳を超えて』『自己発 見の冒険』( グロフ・春秋社)など、欧米のいくつかの代表的な著作の翻訳活動が精 力的に行われ、加えて国内では、吉福氏の『トランスパーソナルとは何か』(春秋 社)『トランスパーソナル・セラピー入門』(平河出版社)、岡野守也氏の『トラン スパーソナル心理学』(青土社)、またつい最近刊行された菅靖彦氏の『心はどこへ 向かうのか――トランスパーソナルの視点』(NHKブックス)など、わかりやすい入門的 解説書も公刊されるようになり、すでに御存知の方は少なくないと思う。
 ただ、この十年ほどの日本での動きを見てみると、それが単に一時の流行ででもあ ったかのような印象がもたれてしまっているのではないか、そしていまだにかなり 「いかがわしいもの」という印象さえぬぐい去られていないのではないかといった危 惧も残る。というのも、これまで紹介されてきた翻訳の著作、そしてそれらにある考 え方や理論的枠組みは、近年の欧米での数多くの学術的成果に基づいて築き上げられ てきたものだったにもかかわらず、現在までのところ、それらがわが国の学術関連領 域に積極的に導入されたり、少なくとも深い議論が交わされるような状況は生まれて きていないという現状があるからである。国内の刊行物のなかに、時としてトランス パーソナルに対する批判を目にすることもあるが、先に挙げたような書物をお読みに なった方にはわかると思うが、そうした批判はたいていの場合正当なものとは思えな い。それは、おそらく、これまでわが国でトランスパーソナルを議論できるような社 会的な場や機会が生まれなかったことが大きな原因になっているのではないかと思 う。これまでトランスパーソナル関連の書物を読み、強い興味を抱いていた方々は決 して少なくなくないはずであり、自分自身がそうなのだが、トランスパーソナルを語 り、議論できる集まりの場があれば、と密かに期待しておられる方は多くいるのでは ないだろうか。
 アメリカの場合、「トランスパーソナル心理学会」という心理学の学術的組織とし ての活動は、その誕生以来すでに四半世紀を過ぎて発展してきており、そこでは毎年 の学会開催に加え、研究雑誌が年に二回刊行され続け、活発な議論と豊かな研究成果 が積み重ねられている。また、心理学という枠にとらわれず、トランスパーソナルの 名のもとに、物理学者や人類学者、生物学者、宗教学者など学際的な広がりをもって 世界の著名な学者たちが参加する「国際トランスパーソナル学会」も定期的に世界各 地で開かれており、その活動もまたすでに十数年になろうとしているのである。
 トランスパーソナルは、周知のように、六十年代後半からのアメリカ、とくにカリ フォルニアの文化的土壌が大きく影響を及ぼして生まれてきたもので、わが国への導 入に際しては、さまざまに複雑な問題が絡み合い、いまだ時期尚早ともいうべき困難 な面も多かったと考えられる。しかし、その導入から十年、昨今の宗教と関連した社 会情勢などを見れば、わが国の状況にも大きな変化が訪れていることは、だれもが実 感としてもちはじめているはずだ。昨年大きく社会を揺るがせた重大な事件は確かに 狂気というほかない。だが、その背後を形成しているわが国の「精神状況」を見つめ 直そうとする動きは決してないがしろにされてはならない。実際、いま社会のなかで そうした議論が着実に深められてきているが、それらに対しても、さまざまな角度か ら正当に語り合える場は、いくつあっても多すぎるということはないはずである。
 トランスパーソナルは、言うまでもないが、西洋の近現代社会のなかから必然的に 生み出されてきた、時代の要請を担った一つの大きな文化的潮流である。文字通り、 「個を超える」という考え方には、合理主義、科学主義、個人主義という言葉で特徴 づけられる「近代」を乗り越えていこうとするヴィジョンが含まれている。そしてそ れは、個人主義というものを徹底的に押し進め、バラバラにさえなりかけてきた西洋 社会の「個」が、再び新たな形でつながりを回復しようとする大きな文化的うねりを 背景にしたものである。近代の「合理的」意識を基盤にした「システム」は、いまわ が国でも、家族、学校、社会、政治経済制度など、至るところで問われ出し、それが あらゆる場面で先の見えない「閉塞的状況」にあることがさまざまに指摘されるよう になってきているが、現代に生きる人間は、意識しようとしまいと、誰もがこうした 状況と無関係でいることはできないだろう。現代人の心の深層では、いま一人ひとり のなかに、こうした状況からの脱出と解決の道を模索する動きが起きてきているので はないか。それを「危機」(危険と機会という両方の意味をもつ)という言葉で呼ぶ とすれば、世界規模に広がる環境危機をはじめ、現代に顔をのぞかせている各種の危 機は、構造的に、その根本にある私たちの「心」に深く根差しているものだと言える はずである。現代社会あるいは世界の状況は、根本的に私たち一人ひとりの心が生み 出しているという視点を強調するのが、トランスパーソナルの特徴の一つでもある。 この動きはいま、おそらく世界の各所で、そしてさまざまな分野で急速に起き出して いるにちがいない。学問の世界でも、ビジネスの世界でも、政治の世界でも、そして 芸術の世界でも。
 「トランスパーソナル」とは、この閉塞的状況を形づくっている近代的枠組みを乗 り越えて(超えて)、新たな時代の道を探ろうとする方法論、あるいは世界観を投げ かけようとする「代案」でもある。すなわち、そこには、より大きな枠組みに「目覚 め」、未来に向けた展望を描き出そうとする「ヴィジョン」という側面が含まれてい る。トランスパーソナルという概念あるいは思想が、そのままわが国にも受け入れら れるのかどうかという点では問題もあるにちがいない。わが国の場合は、「個の確 立」と呼ばれるものを、西洋と同じような形で十分に成し遂げないまま、いわゆる 「近代化」を急速に押し進めてきた、そしてそれはいわば「外側」からの押しつけと いう形で不自然になされてきた、とはよく言われることである。だが、そうした問題 も含め、少なくとも活発な議論が期待されるべき時期が、もはや完全に熟してきてい るのではないかと考える。そして、それは、いまわが国において強く必要とされるよ うになってきているのではないかと思うのである。
 本年五月開催予定の「第一回日本トランスパーソナル学会」は、こうした気運のな かで一昨年の夏から関係者たちによって準備が進められてきた。この十年の間には、 アメリカのトランスパーソナル研究所や、トランスパーソナル心理学を学べる大学院 や大学に留学し、日本に戻って活動を続けている人たちも徐々に増えつつあった。ま た、これまでの紹介から、国内で学術的な関心を強くもった人々や、心理療法として のトランスパーソナルの実践活動に関わる人々もしだいに広がりをもつようになって きている。しかしながら、これまでは、そうした人々のそれぞれの活動や一般社会で 強く関心をもつ人々との間に、広くつながりをもったり交流が行える場や機会がなか なか生まれず、ともするとそれぞれが独自に活動を続けているといった状況になりが ちだったようにも思う。今年の学会の開催は、そうした人々が年に一度でも、一つの 場所に集まり、交流をもてる機会としての意味をまず第一に考えて企画されたもので ある。
 日中は、これまでわが国において関連する発言をもってこられた各分野の著名な学 者や作家やセラピストの方々(河合隼雄、見田宗介、上野圭一、鎌田東二、おおえま さのり、上田紀行、北山耕平、菅靖彦、津村喬、星川淳、岡野守也、高岡よし子、テ ィム・マクリーン、藤見幸雄、伊藤雄二郎、江夏亮、宮迫千鶴、西光義敞、土沼雅 子、吉福伸逸ほか)の講演が組まれており、「トランスパーソナル」に関連して、こ れまでのわが国での状況を踏まえた幅の広い議論が行われる予定である。また、学会 中に小ワークショップ、そしてまた学会後にはポスト・カンファレンス・ワークショ ップも行われ、体験を通してトランスパーソナルを知る機会ももてるよう、現在入念 にプログラムが検討されている。
 「トランスパーソナル学会」は、言うまでもなく、ただ学術的な理論を積み重ねる だけの学者や研究者たちだけのものではない。トランスパーソナルとは「個を超え た」体験のことである。それは、自分というアイデンティティを超えて、他者、人 類、生命(いのち)、地球、宇宙を「感じる」体験のことだ。ただ、多くの議論が繰 り返されながらもあえて「学会」という既成の名が用いられたのは、そこには単に 「出会いの場」としての意味だけでなく、あくまでもしっかりとした「学」、あるい は「知」というものが、基礎として非常に大切なものとしてあると考える気持ちがあ るからである。「学」を「体験する」こと、「知る」ということ、そこには本来、人 間の大きな喜びや感動があるはずだ。そして、トランスパーソナルを「学び」「知 り」「体験する」こととは、「気づくこと」であり、現代においては未来に向けた真 摯な「祈り」でもあるのだと私は思う。今回のプレゼンターの方々は、その意味でわ が国でも屈指の「豪華メンバー」ばかりである。
 場所は、静岡県下田の南伊豆国民休暇村。黒船の浦賀来航後、鎖国していた日本が 世界に開いていくきっかけとなった場所である。まさに「トランスパーソナル」を語 り、感じ、体験するにふさわしい、海辺の潮騒と豊かな松林に囲まれた静かな温泉 地。そして、夜には世界に誇るわが国のミュージシャン、喜多郎による「ピースセレ モニー」も予定されている。多くの方々がすばらしい出会いをもち、またその場での 体験をもち帰って再び、それぞれの日常のなかで生き生きと仕事や活動を行うための 「学びの場」とならんこと、大きな期待を寄せて待ち望んでいる。

*第一回日本トランスパーソナル学会会議は、平成8年5月24日(金)から開催予定。
平成8年5月24日(金)―26日(日)会議、27日(月)ワークショップ

(おかげさまで無事終了しました。)


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