日本トランスパーソナル学会(JTA)について

日本トランスパーソナル学会(運営委員長 安藤治、東京医科大学)は、1996年4月 発足しました。

「トランスパーソナル」は、西洋の近現代社会の中から、必然的に生み出されてきた大き な文化的潮流です。「個を超える」という考え方には、個の健全な確立を踏まえたうえ で、合理主義、科学主義、個人主義という言葉で特徴づけられる、「近代」を乗り越えて いこうとするヴィジョンが含まれています。また、個人主義というものを徹底的に押し進 め、バラバラにさえなりかけてきた「個」が、再び新たな形でつながりを回復しようとす る、大きな文化的なうねりが背景にあります。

現代人の心の深層では、いま一人ひとりのなかに、こうした状況からの脱出と解決の道を 模索する動きが起きています。世界的規模で広がる環境危機をはじめ、現代に顔をのぞか せている各種の危機は、構造的に、その根本にある私たちの「心」に、深く根ざしている ものだと言えるはずです。

「トランスパーソナル学」とは、この閉塞的状況を形作っている近代的枠組みを乗り越え て(超えて)、新たな時代の道を探ろうとする方法論、あるいは世界観を投げかけようと する「代案」であり、未来に向けた展望を描き出そうとするものです。

昨今の社会情勢を見れば、わが国の状況にも大きな変化が訪れていることは、だれもが実 感していることでしょう。その背後を形成しているわが国の「精神状況」を見つめ直そう とすることは重要であり、活発に議論する時期が、もはや完全に熟していると考えます。

お問い合わせ・ご質問は

日本トランスパーソナル学会 事務局
担当:小野 裕之
〒359 所沢市荒幡632-10
TEL/FAX : 0429-28-0429
E-mail : hiroono@mix.or.jp

までおたずねください。


★ 日本トランスパーソナル学会の成立経緯

1985年、京都で第9回の 国際トランスパーソナル学会 ITA )が開催されました。

当時まだ日本では「トランスパーソナル」という言葉がほとんど知られていなかったに もかかわらず、この会議は多くの関心を集め、日本におけるトランスパーソナル学の本 格的な紹介への足がかりとなりました。
以来ほぼ10年が経過し、主要な理論的書物も公刊され、その実践も行われてきました。 欧米での四半世紀に及ぶ歴史やその発展には、注目されるべき数々の知見が積み重ねら れており、日本においても本格的に取り組む必要性がますます高くなってきたと思われ ます。

このたび設立する「日本トランスパーソナル学会」(JTA)は、日本における初のト ランスパーソナル学会です。


★ 日本トランスパーソナル学会の活動計画

日本トランスパーソナル学会は、トランスパーソナル学の研究促進および発展を目的に、 一般社会への普及活動や海外も含めた研究成果の発表や紹介、交流を行います。具体的に は、次のような活動があげられます。

1.講演、ディスカッション、ワークショップ等による年次大会の開催
2.機関誌、その他の刊行物の発行と配布
3.トランスパーソナル関係の情報提供
4.内外の関連諸学会・協会との連携および協力活動
5.研究会、ワークショップ等の定期的な開催
6.その他


★トランスパーソナルとは・・・

 英語の Transpersonal とは、「個(Personal)を超える(Trans)」ないしは、「個 の境界を横断する」ことを意味します。それは個の確立を踏まえながらも個にとどまら ず、自他の境界を超え、あらゆるものがつながっているという意識です。それは西洋の個 人主義と東洋の自然観の健全な融合ともいえるものです。


★トランスパーソナル学とは・・・

 「トランスパーソナル学」はまず、心理学の分野で生まれました。行動主義心理学、 精神分析学、人間性心理学に次ぐ第4の心理学の潮流として、1960年代後半にア メリカで成立しました。
 人間性心理学は、行動主義心理学や精神分析がそれぞれ、人間の行動主義的側面や 病理に主に着目していたのに対し、それまであまり研究対象として取り上げられなか った人間の価値、自由、意志、可能性などに目を向けました。そしてさらに高度な自 己実現を遂げた人間が向かう先として、個人性をも超えた次元や価値が認識され、研 究されるようになりました。またユング系の心理療法やさまざまな身体技法の成果、 東西の諸宗教や哲学、シャーマニズムの体験的理解や比較考察等も相まって、西洋近 代の自我を超えた多層的な意識の領域が明らかになり、トランスパーソナル心理学が 発展してきました。

 近年、トランスパーソナル心理学の成果と関心は、次第に医学や人類学、哲学、 科学、教育、社会学、宗教学、エコロジー、死生学、ビジネス、アートなどの分野に も波及するようになっています。そして欧米ではトランスパーソナル心理学を専門と する大学院、「 トランスパーソナル心理学研究所」の他に、学部レベル、大学院レ ベルでトランスパーソナル心理学およびトランスパーソナル精神医学を専攻したり、 選択科目とできるところも増えています。近代合理主義や個人主義的価値観の限界が 明らかになるにつれ、さまざまな分野におけるトランスパーソナル的視点の重要性 が 認識され、再発見されています。

 「トランスパーソナル学」は、日常の営みや社会の具体的な諸問題に照らし合わせ 検証することにより、トランスパーソナル的視点の探究と精緻化を目指しています。


日本トランスパーソナル学会設立に当たって 運営委員長 安藤 治

 わが国に「トランスパーソナル」あるいは「トランスパーソナル心理学」が紹介、導入 されるようになって、すでに約十年が経過した。この間、吉福伸逸氏を中心に、『意識の スペクトル』『アートマン・プロジェクト』(ウィルバー・春秋社)『トランスパーソナ ル宣言』(ウォルシュ・ヴォーン編・春秋社)『脳を超えて』『自己発見の冒険』(グロ フ・春秋社)など、欧米のいくつかの代表的な著作の翻訳活動が精力的に行われ、加えて 国内では、吉福氏の『トランスパーソナルとは何か』(春秋社)『トランスパーソナル・ セラピー入門』(平河出版社)、岡野守也氏の『トランスパーソナル心理学』(青土 社)、またつい最近刊行された菅靖彦氏の『心はどこへ向かうのか――トランスパーソナ ルの視点』(NHKブックス)など、わかりやすい入門的解説書も公刊されるようになり、 すでに御存知の方は少なくないと思う。
 ただ、この十年ほどの日本での動きを見てみると、それが単に一時の流行ででもあった かのような印象がもたれてしまっているのではないか、そしていまだにかなり「いかがわ しいもの」という印象さえ、ぬぐい去られていないのではないか、といった危惧も残る。 というのも、これまで紹介されてきた翻訳の著作、そしてそれらにある考え方や理論的枠 組みは、近年の欧米での数多くの学術的成果に基づいて築き上げられてきたものだったに もかかわらず、現在までのところ、それらがわが国の学術関連領域に、積極的に導入され たり、少なくとも深い議論が交わされるような状況は生まれてきていない、という現状が あるからである。国内の刊行物のなかに、時としてトランスパーソナルに対する批判を目 にすることもあるが、先に挙げたような書物をお読みになった方にはわかると思うが、そ うした批判はたいていの場合正当なものとは思えない。それは、おそらく、これまでわが 国でトランスパーソナルを議論できるような、社会的な場や機会が生まれなかったこと が、大きな原因になっているのではないかと思う。これまでトランスパーソナル関連の書 物を読み、強い興味を抱いていた方々は決して少なくなくないはずであり、自分自身がそ うなのだが、トランスパーソナルを語り、議論できる集まりの場があればと、密かに期待 しておられる方は、多くいるのではないだろうか。
 アメリカの場合、「トランスパーソナル心理学会」という心理学の学術的組織としての 活動は、その誕生以来すでに四半世紀を過ぎて発展してきており、そこでは毎年の学会開 催に加え、研究雑誌が年に二回刊行され続け、活発な議論と豊かな研究成果が積み重ねら れている。また、心理学という枠にとらわれず、トランスパーソナルの名のもとに、物理 学者や人類学者、生物学者、宗教学者など、学際的な広がりをもって、世界の著名な学者 たちが参加する「国際トランスパーソナル学会」も、定期的に世界各地で開かれており、 その活動もまたすでに十数年になろうとしているのである。
 トランスパーソナルは、周知のように、六十年代後半からのアメリカ、とくにカリフォ ルニアの文化的土壌が、大きく影響を及ぼして生まれてきたもので、わが国への導入に際 しては、さまざまに複雑な問題が絡み合い、いまだ時期尚早ともいうべき困難な面も多か ったと考えられる。しかし、その導入から十年、昨今の宗教と関連した社会情勢などを見 れば、わが国の状況にも大きな変化が訪れていることは、だれもが実感としてもちはじめ ているはずだ。昨年大きく社会を揺るがせた重大な事件は、確かに狂気というほかない。 だが、その背後を形成している、わが国の「精神状況」を見つめ直そうとする動きは、決 してないがしろにされてはならない。実際、いま社会のなかでそうした議論が着実に深め られてきているが、それらに対しても、さまざまな角度から正当に語り合える場は、いく つあっても多すぎるということはないはずである。
 トランスパーソナルは、言うまでもないが、西洋の近現代社会のなかから、必然的に生 み出されてきた、時代の要請を担った、一つの大きな文化的潮流である。文字通り、「個 を超える」という考え方には、合理主義、科学主義、個人主義、という言葉で特徴づけら れる、「近代」を乗り越えていこうとするヴィジョンが含まれている。そしてそれは、個 人主義というものを徹底的に押し進め、バラバラにさえなりかけてきた、西洋社会の 「個」が、再び新たな形でつながりを回復しようとする、大きな文化的うねりを背景にし たものである。近代の「合理的」意識を基盤にした「システム」は、いまわが国でも、家 族、学校、社会、政治経済制度など、至るところで問われ出し、それがあらゆる場面で、 先の見えない「閉塞的状況」にあることが、さまざまに指摘されるようになってきている が、現代に生きる人間は、意識しようとしまいと、誰もがこうした状況と無関係でいるこ とはできないだろう。現代人の心の深層では、いま一人ひとりのなかに、こうした状況か らの脱出と解決の道を模索する動きが起きてきているのではないか。それを「危機」(危 険と機会という両方の意味をもつ)という言葉で呼ぶとすると、世界規模に広がる環境危 機をはじめ、現代に顔をのぞかせている各種の危機は、構造的に、その根本にある私たち の「心」に深く根差しているものだと言えるはずである。現代社会、あるいは世界の状況 は、根本的に私たち一人ひとりの心が生み出しているという視点を強調するのが、トラン スパーソナルの特徴の一つでもある。この動きはいま、おそらく世界の各所で、そしてさ まざまな分野で急速に起き出しているにちがいない。学問の世界でも、ビジネスの世界で も、政治の世界でも、そして芸術の世界でも。
 「トランスパーソナル」とは、この閉塞的状況を形づくっている近代的枠組みを乗り越 えて(超えて)、新たな時代の道を探ろうとする方法論、あるいは世界観を投げかけよう とする「代案」でもある。すなわち、そこには、より大きな枠組みに「目覚め」、未来に 向けた展望を描き出そうとする「ヴィジョン」という側面が含まれている。トランスパー ソナルという概念あるいは思想が、そのままわが国にも受け入れられるのかどうかという 点では問題もあるにちがいない。わが国の場合は、「個の確立」と呼ばれるものを、西洋 と同じような形で十分に成し遂げないまま、いわゆる「近代化」を急速に押し進めてき た、そしてそれはいわば「外側」からの押しつけという形で不自然になされてきた、とは よく言われることである。だが、そうした問題も含め、少なくとも活発な議論が期待され るべき時期が、もはや完全に熟してきているのではないかと考える。そして、それは、い まわが国において強く必要とされるようになってきているのではないかと思うのである。  本年五月開催予定の「第一回日本トランスパーソナル学会」は、こうした気運のなかで 一昨年の夏から関係者たちによって準備が進められてきた。この十年の間には、アメリカ のトランスパーソナル研究所や、トランスパーソナル心理学を学べる大学院や大学に留学 し、日本に戻って活動を続けている人たちも徐々に増えつつあった。また、これまでの紹 介から、国内で学術的な関心を強くもった人々や、心理療法としてのトランスパーソナル の実践活動に関わる人々も、しだいに広がりをもつようになってきている。しかしなが ら、これまでは、そうした人々のそれぞれの活動や、一般社会で強く関心をもつ人々との 間に、広くつながりをもったり交流が行える場や機会がなかなか生まれず、ともするとそ れぞれが独自に活動を続けているといった状況になりがちだったようにも思う。今年の学 会の開催は、そうした人々が年に一度でも、一つの場所に集まり、交流をもてる機会とし ての意味をまず第一に考えて企画されたものである。
 日中は、これまでわが国において、関連する発言をもってこられた、各分野の著名な学 者や作家やセラピストの方々の講演が組まれており、「トランスパーソナル」に関連し て、これまでのわが国での状況を踏まえた、幅の広い議論が行われる予定である。また、 学会後にはワークショップも行われ、体験を通して、トランスパーソナルを知る機会もも てるよう、現在入念にプログラムが検討されている。
 「トランスパーソナル学会」は、言うまでもなく、ただ学術的な理論を積み重ねるだけ の学者や研究者たちだけのものではない。トランスパーソナルとは「個を超えた」体験の ことである。それは、自分というアイデンティティを超えて、他者、人類、生命(いの ち)、地球、宇宙を「感じる」体験のことだ。ただ、多くの議論が繰り返されながらも、 あえて「学会」という既成の名が用いられたのは、そこには単に「出会いの場」としての 意味だけでなく、あくまでもしっかりとした「学」、あるいは「知」というものが、基礎 として非常に大切なものとしてあると考える気持ちがあるからである。「学」を「体験す る」こと、「知る」ということ、そこには本来、人間の大きな喜びや感動があるはずだ。 そして、トランスパーソナルを「学び」「知り」「体験する」こととは、「気づくこと」 であり、現代においては未来に向けた真摯な「祈り」でもあるのだと私は思う。今回のプ レゼンターの方々はその意味でわが国でも屈指の「豪華メンバー」ばか りである。
 場所は静岡県下田から近い、南伊豆国民休暇村。黒船の浦賀来航後、鎖国していた日本 が世界に開いていくきっかけとなった場所である。まさに「トランスパーソナル」を 語 り、感じ、体験するにふさわしい、海辺の潮騒と豊かな松林に囲まれた静かな温泉地。そ して、夜には世界に誇るわが国のミュージシャン、喜多郎による「ピースセレモニー」も 予定されている。多くの方々がすばらしい出会いをもち、またその場での体験をもち帰っ て再び、それぞれの日常のなかで、生き生きと仕事や活動を行うための「学びの場」とな らんことを、大きな期待を寄せて待ち望んでいる。


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