目次
人類史の曙
古典古代
中世
ルネサンスから近代へ
現代
歴史のあけぼの
私の古典古代といえる中学時代以前に、先史時代がある。それは私の個人史のあけぼのだった。その頃私は数々の書き物をしたが、今では何の記録も残っていない。すべてが火山灰の下に埋もれてしまったのだろうか。
記録はなくなってはいるものの私の記憶は鮮明である。姉妹達とたき火をしながら食べた焼き芋の香りがまだきれいな空気の中に漂っている。一年に一回の海岸遠足は、海鳴りとともに蒼い海の白いしぶきとなってよみがえる。
遊んでも遊んでも、遊び足りなかったエネルギーと秋の運動会の白いシャツ、白いパンツ。かけっこ競争のヨーイ、ドン、一目散に走ったものだった。頬がぴくぴくするほど早く。
野山や川岸で、写生に没頭して時間が経つのを忘れたこともある。川の流れが遠くの山間に消えて行く。川の深い青さと、空の明るい青さが地平線のかなたで交わる点が神秘だった。
さて、神秘に包まれた先史時代の発掘よりも、今私は持っている記録をひも解いて、古典古代から追跡しようと思う。
古典古代のあたりからの日記帳や記録は今でもびっしりと本棚に詰まっている。その一冊一冊を見ていくことはしないで、古典古代、中世、ルネッサンス、近世、近代にかけてイベントとなるようなところをランダムに日記帳から拾い上げてみたい。
私にとっては、高校時代が中世にあたるが、この辺の時代は解釈不可能な所が多く、大部分は伏せたままになると思う。
個人史が人類の歴史を追体験してきたと言うのが私の信念である。この発想を持ったのが、大学2年生のころ、20歳前後だった。この発想を持ったのはまだルネッサンスの頃なのではないかと今では思う。それ以降も意識的に歴史の発展に身を任せていた。
ここでは個人史の各段階の様相をなるべく記録に忠実に辿っていきたい。人類の古典古代の精神が、私の古典古代にも力強く脈打っていたということを、今記録を読み直していて、ますます強く感じている。それは古典古代ばかりではなく、各段階の発展段階にも当てはまることである。
ルネッサンスから近代、現代にかけての歴史の移り変わりも、まだまだ解釈不明な所が多いが、人類史を追体験したという実存的認識がいつも根底にある。
類的人間として、今までの人類史を人類前史とし、人類の後史における人間像となるかもしれないなどと空想を巡らしている。個々人は自由になり、平等になるだろう。世界は個々人を尊重して、教育的発展段階を考慮して再編され、経済、政治は教育に従属し、文化的教育が尊重されるだろう。世界が狭くなり、個々人が尊重され、個々人は自分の管理する機密のデータベースをもち、必要とあればいろいろなリソースにリンクできるだろう。
人類の課題は大きい。誰かが始めなければならない。課題を遂行する能力と、未来への展望を持つ人々、又は持ちたい人々に私は語りかけたいと思う。
中学時代-古典古代
-生活-
8才か9才の頃から日記を付け始めた。残念なことにそれらはなくしてしまった。これからのものは大切にとっておこうと思う。大人になってから読返すのは、とても意味のある事に違いないし、自分の生きたしるしを残しておくことはおもしろいことだから。人間にしかできないことだと思う。
わたしはいま本の虫みたいだ。毎日図書館にいく。家の本は少ないから、学校の図書館から借りる。面白い本が図書館にいっぱいある時は、毎日5冊から10冊も借りる。
図書館の熊田先生は特別に私を待遇してくれて、図書貸出日でなくても、本を貸してくれる。学校の図書館に面白い本がもっともっと入ればいいなと思う。
もし私が生きた友を失ったら、、、
それでも私は絶望しない
私の本当の友
悲しみを分け合い
喜びを分け合う友
それは書物なのである
私の生活は主に学校、家の手伝い、読書、娯楽という日課で繰返されている。家ではもっと予習・復習をしなければならないとは思うけれど、手伝いに長い時間を費やすので、予習復習はちょっと無理になることもある。父母は私がもっと手伝いをすることを期待しているみたいだ。
人間として娯楽も必要である。毎日2時間ぐらいラジオを聞く。長い目で見るとこれは相当な時間の浪費である。しかし、面白い番組を聞かないでしまえば、私の生活に大きな穴が空いたみたいな気持になるだろう。
妥協策として考え出したことは、ラジオを聞いている時なにか仕事をすること。宿題をしてもいいし、姉の料理の手伝いでニンジンをきざんでもいい。ジャガイモの皮をむくことも簡単にできる。
-友達-
同じクラスに山田さんと言う小さな男の子がいる。この子が私を捕まえてある日言った。
「おまえは女で番長だ」
「番長って何?」と私が聞くと、
「一番威張っているやつだよ」と山田さんは答えた。
こんな痩せ男を相手にしていたら日が暮れてしまうと思ったので、その場を立ち去ろうとした。私といつも一緒にいる崎山さんと言う女の子がいる。この時もちょうど一緒。
「それなら男の番長は誰?」崎山さんがすかさず聞いた。
山田さんはにやにやしていた。山田さんと一緒にいた原田さんが変わりに答えた。
「この山田だよ」
「そんなら、番長と番長で喧嘩してみれば、どちらが強いか」崎山さんがおもしろ半分に言った。私はそろそろ我慢ができなくなっていたので、「暴力じゃなく学力でね」と念を押した。
「勉強ができると思っていい気にすんな」と原田さんが言った。
男と言うものは、物分かりの悪い動物だと思った。
-思索-
私と言う人間、何故この世に姿をあらわしたのか。この現実は夢に過ぎないのか?私は分からない。何故他人のことより自分のことを詳しく知っているのだろう?何故、人々は他人のことより自分のことを考えて暮らしているんだろう。自分と言うただの人間を、自分と同じただの人間によく見せたく思う、それはどんな心に気まぐれなのか?
分からない。私は分からない。この世がなんであるのか。考えるということが、果たして人間にどんな欲望をもたらすのか。自分を意識した時、私はもう中学生になっていた。今までの自分を振り返ってみた。思い出は何もない、さびしい今までのような気もする。
日本と言うちっぽけな、しかも尊い国の中にぽつんと生まれてきたのだ。10年あまりの間何を考えて生きてきたのだろう。何故今まで、私と言う人間を見ないできたのだろう。
わたしはいまの自分をとても幸福に感じ、この世の中に私を立たせてくれた両親に感謝している。両親は私に対して親切だから、将来は私が親に親切にしてあげる。どんなに楽しいだろう。早く来ないかな、私の楽しい未来。でも、それが実現するまでにはいろいろな困難もあるだろう。その苦労も楽しみだ。世の中に存在する障害物、それをきれいに乗越えたい。そして、私のうれしい未来に一刻も早くまじめに到着したい。
-反省、教訓-
あまり考えないで行動してしまうことがある。この前理科の課外授業があった。帰り図書館で本を読んでいたら、大宮先生が来て「もう三時になる」と言ったので、お腹も空いたことだしと思い家に帰ることにした。ところが途中道、小学校からの友達にあった。彼女の自転車に乗せてもらって、そのまま母校の鉾二小へ行ってしまった。
塙先生と話をした後、同窓会のことでもう一人の友達(カッシャクマに住んでいた)を訪問することにした。
用事を済ませて家に帰る頃、あたりは真っ暗だった。死にもの狂いで夜道を走り、台所の裏口からこっそりと家に入ろうとすると父が私をしかりつけた。
「今姉ちゃんが学校まで迎えにいったぞ」父の言葉を黙って聞いた。まさかこんなにみんなで心配していようとは夢にも思わなかった。私はその足で学校へ飛んでいった。姉が学校の玄関の薄暗い所で話していた。相手は大宮先生。彼は私が何時に家に向かったか知っているはず。羽鳥先生が私の家に電話をかけていた。熊田先生が側に立っていた。
こんなにみんなに心配をかけてしまって、私は誤って家に帰って来た。父と母からまたしかられた。悲しくなった来たけど私を思ってくれる気持はよく分かった。これからはこんな事は二度としない様にしようと心に誓った。
考えないで行動してしまったら後でじっくり考えてみる必要がある。
ある日、木の上で本を読んだらさぞかし気持ちがいいだろうと思った。というわけで、木に登った。本を読もうとしたが、とても居心地が悪くて本など読んでいられない。私はすぐ降りてきてしまった。
そこで私は考えた。いろいろな立場をよく考えてから行動しなければならない。夢より現実は厳しくおそろしい。
私の中世時代
序文でも述べた通り、この時代に対する私の解釈はまだ確定的ではない。記録も大分残ってはいるが、私の見方がはっきりしないためどの部分をサンプルとして抜粋していいかどうか分からないでいる。そのため中世史を編集できずにいると言うのが現実なのだ。暗黒時代とは一概に言えないが、確かに灰色に時代だった。私はこの当時、小中学校時代を古典古代だったと意識し始め〔人類史の追体験という意識はまだ無かった〕、時には羨望の目で過去の明るかった日々を回想していた。
「苦しめ,死ね、しかしまずお前のならなければならぬもの、一人の人間になれ」というロマン・ロランからの一節と、「真理の探究」という目標を掲げ、私はただ生きていたという記憶がある。
大学時代―ルネッサンスから近代へ
思想
雪が溶けて、黒い土が茶色になり、野山が黄緑に輝き始める頃、私は大学の門をくぐった。もうない受験地獄。これが私のルネッサンス・文芸復興。あほらしいとさえ言える、棒暗記の受験勉強とやら、さようなら。これからは本当の意味で真理の探究に打ち込むことができる。読書、思索、執筆活動、絵筆をふるうこともできよう。
大学の春は新緑で輝いていた。中学が一緒で、高校で離れていた原田君が同じ大学に来る。彼に又会えたことはうれしいことだった。もう私を操るものは何もない。私は私自身なのだ。かけがえのない一人の人間としての私。行く道を自分で決定し、どんな風に行くかを自分で考える。かごの中の鳥がかごから開放され、大空に飛んでいるような自由を手に入れたい。
私は生まれ育った家を出た。心をときめかせて。アパートを借りて、自分一人でやっていくこと。親に経済的な負担をかけない変わり、封建的な家からの束縛をはねのけること。私の大学生活には徐々に自由奔放主義がはびこっていった。狭いアパートを根城に、昼間は大学の講義を聞き、夜は家庭教師、更洗い、モデル等のアルバイトに明け暮れた。
生活
夏休みでT君が郷里に帰ってしまった。もうどうしても取り戻せない。夕方は早く寝た。夜中の十一時ごろ、二人の男の子に起こされる。一人はいつか私の個展を見に来てくれた人で、もう一人は日大生とか言っていた。
鈍さ加減と図々しさを十分見せ付けて帰っていったのは午前二時半。訪ねてくるからには、特に真夜中に人を起こしてまでして一方的にやってくるからには、損をさせない何かを置いて行ってくれるのが礼儀ではないだろうか。うまい言葉とか、優しい心とか。それをしなくてすむような中など、そうざらにあるものではない。
X月X日
私を起床に追いやるなにものもない朝、でも外は晴れている。寝床で本など読んでいるとやはり大学の近くに下宿している妹がやってきた。私がお茶を飲みたいと言うと、妹らしくすぐポットにお茶を沸かしてくれる。彼女が「アダモ」を聞きに来たことは確かだけど。
レコードを少し聞いて、お茶を飲んだ後、妹は長居をしないで帰っていった。私はなぜか不思議に、学習計画を作って机に向かっている。
アパートの下にリヤカーを引いた八百屋のおばさんが来たので、外に出ていってりんごとソーセージを買う。りんごを洗って奇麗に拭くと、描いてみたくなったので筆をとる。あまりうまく行かないので、途中で食べてみた。
夕方Sさんが来て私の最近の作品を見たいと言う。絵は非常にいい、と彼は批評家ぶる。表情が出ているからいい、と言うのだけれど私はなにか気にくわない。よく考えてみれば、絵という芸術は表情が出ると言うことがすべてかもしれないけれど。彼はそれほどの意味を込めていっているのではないことは確か。
Sさんは私の原稿にも目を通した。ちょうどそこへ、哲研の男の子二人がゼミに来る。「今日はゼミの日だったっけ?」と言ってしまって、「とにかくゼミやりましょうね」といちおう破局を避けた。Sさんが私の原稿から何やら書き取っていた。「Uさん(Sさんのガールフレンド)への書き置きなら、私があずかっといてやるわよ」私は皮肉っぽく言った。Sさんはそれに答えずに、にやにやしながら帰っていった。
哲研のゼミを30分ほどで済ませて、男の子達が帰った後、夏の夕方の涼しい風を楽しみながら私は夕食の買い物に出た。買い物から帰って、一人で熱いお茶を飲む。暑い飲み物はT君から教わった習慣。いい気分になってレコードを聞きながら、マーガレット・ミードの論文などを読む。熱いお茶を飲みながら論文のページをくくっていると、ドアがノックされて、「はい、どうぞ」と答えると入ってきたのはW君。
「異邦人ある」
「何故そう用件だけを言わなきゃならないの?とにかくおすわりなさいよ」ついつい嫌がらせが言える仲のW君。
「英訳のならあるけど。日本文の方は誰に貸したか覚えてない。そう誰かに貸したことは事実よ。記憶が確かにあるのだから」
W君のくるくるする目を見ていたら、可笑しくなって急に思い出した。
その友達の所へ急いでいって本をとってくる。待っていたW君に、異邦人ムルソーの、ののしりと狂喜の最後の場面からセリフを読んでやる。読んでいて、異邦人の映画が近く来ることを思い出した。
「映画見たくてその準備に読んでおくの?」
「そうなんだ。僕は人間には3つのタイプがあると思うんだよ。ムルソーはそのうちの1つの典型なんだ」
「あくまでも原則的にね」
「君も3つのタイプに賛成するの?」とW君が聞く。
「3つか4つかはどうでもいいわ」
それからつまらない分類の話をし、W君もそのつまらなさに気付いたのか、「人の気も知らないで」のシャンソンを聞いて、二度も聞いて、「いいな」と言って帰っていった。
「読み終わったら、感想聞かせてね」W君の後姿に言葉をぶっつけたら、W君は振り返って「はい」とすなおに返事をした。「その時3つの分類に付いても詳しく話すね」と付け加えて。表のドアがバタンと閉まる。
T君のため、彼の不在の間の日付だけでも残して置こうと思って、紙を3枚閉じたのだった。3枚くらいで帰ってきてくれればいいなと思いながら。ところが足りない紙。同人誌を一緒にやっているX君が「鉛筆ですいすい書いたら、スゴク書きいいよ」と言って、私にくれた紙だ。紙の枚数をもう少し増やそう。ほんの少しだけ。落ちついて待つことを学ぶために。
この世の中にあなたがいないなんて考えられない。それほどあなたは私にとって確かな存在になってしまった。あなたの微動だに私は見逃したくないということをどうか許して欲しい。あなたの指先が神経質そうに前髪を書き上げる時、あなたは私を見る。そして果たして、見る方はどちらで、見られる方はどちらなのか?それが疑問。
ルターの著作とホフマンの「ドン・ファン」を読んでいたのだ。ルターとドン・ファンのいったいどこが違うのか。とにかくどちらも強烈さにおいて似ている。「人間よ、そしてまた、あなたも人間だったのか」と、そんな風に語りかけてみたくなる人たちなのだ。
モスクワ放送のラジオが、夜のしじまの中で「どなた様もごゆっくりとおやすみなさい」と告げた。どなた様も、ほんとうにどなた様もゆっくりやすめるのだろうか?
X年Y月Z日
朝の目ざめが少しにがい。Yさんにモデルを引き受ける手紙を書く。画家や彫刻家だが、どこに連れて行かれるかは分からない。
教は私が家庭教師をしているやっちゃんが私を訪ねてくる予定だ。無事来られるだろうか。読書感想文を持って、私のアパートに始めて来るのだ。やっちゃんは、「星の王子様」の読後感を書くと言っていたが、どうなっただろうか?
「星の王子様は私大好きよ。でも恐いぐらい、夜寝る時も思ってしまうんだもの」と言っていたやっちゃん。いとこの家に引き取られて、親は群馬にいると言う大人っぽい中学生だ。万能選手のくせに自分は何もできないと言う。時には何でも分かっているような顔もする。私が夕方子供部屋で待っていると、疲れた体を私にぶっつけてくる。
教はそのやっちゃんを私の部屋で待っているのだ。サルトルの「方法の問題」を読みながら。学問とは待つことかもしれない。じっくりと腰を落ち着けて待つ忍耐力を持つもののみが学問をなしうる。芸術は飛び回る。人間にとっては学問も芸術も大切なのだ。
やっちゃんが遠慮がちにノックして入ってきた。落ち着かせてあげたい。昨日は学校の運動会だったという。
「天気がよくてよかったわね」
「でも運動場はぬかっていたのよ」
「おなかすいているんでしょう。焼きそば作ってあげるから、感想文の最後の仕上げしておいてね」
私は台所に行った。彼女は熱心に書いている。
「できましたよ。あなたの嫌いなニンジンを小さくして入れちゃったわ」
「先生ってお料理下手だとおっしゃったでしょ」
「そうよ。でもやっちゃんの体が何を必要としているかはよく分かるの。それに料理にかけても私は芸術家のつもりよ」
やっちゃんは湯気の出ているやきそばをすぐさまたいらげた。お茶を出したら、ありがとうをいい、お茶をすすりながら、又書き始めている。仕方なく、私も「星の王子様」に付いての感想をまとめてみた。
「星の王子様はいつでも私の側にいるような人だ。私の考えることやすることを、どこからともなく見ているような気がする。星の王子様は透明の人間なのかもしれない。人間の心を人目で見抜いてしまって、自分はいつもひょうひょうとしている。体は空気の湯に軽くて、どこにでも飛んでいき、人間のすることすべてを見ている。王子様は子供ではない。大人でもない。子供のように純粋な心を持っている上に子供ではできないほど独りで超然としていることができる。ただこの物語を読んで、私が悲しいのは、飛行中に星空に消えてしまった作者サン・テグジェペリ。星の王子様と二重映しになって、この作者の姿がくっきりと星空に浮かび上がってくる」
やっちゃんは読後感がまだ終わらないとこぼしながらも、満足げに帰って行った。どうやら私のアパートを訪ねてみるのが彼女の狙いだった様だ。
やっちゃんが帰った後、大学内を散歩する。哲研のA君に会う。
「何やっているの」とA君が聞く。
「ヤスパースとか、マーガレットミードとかね」
私が散歩しながら抱えていたのはマルクスの本。私にとって金に恵まれない今の私にとって、マルクスは骨身に徹してうなずけるのに、心がぴったりと付いていけないのはなぜだろう。
散歩から帰って夕食をすませ、夜の九時になるのを待っている。やっちゃんの読書感想文を電話で聞いてやることになっている。夕方降り出した雨の中を、傘をさして電話ボックスまで行く。
「星の王子様はどうしても難しくて銀色ラッコの涙に変えたの。読むわね」
動物と人間をテーマにしたもろもろの童話。銀色ラッコの涙はその一つだが、描写がすばらしく色彩感覚にあふれているだろうことが彼女のあらすじからもうかがえる。
「あらすじにおのずからその人の感想が入ってしまうものだけれど、最後に本を投げ出してみて、読んだ後の印象も書いたらもっといいわね」
「あらすじはいいですか」
「そうね。ピラーラとラッコに信頼が取り戻せたあたりのクライマックスで飛んでしまった感じがしたわ。その辺をもっと考えて見て。あとはとてもよかったわ」
「ありがとうございます」
「じゃ、がんばって仕上げてね」
「さようなら」
そして私は雨の中に出た。電話を待っていた二人連れが、二人一緒にボックスに入ったのを背中で感じた。
また夜だ。一人になって音楽など聴きながらあなたのことを思っている。あなたは私の恋人の抽象。だからあなたは私の恋人ではない。私にとってだけいるのだから。あなたは私なのだから。私以外のなにものでもないのだから。
私は時々不思議になる。あなたとはいったい何なのか?私を支え、私を動かす。私の幻。つぶされてなくなったりすることのない幻。吸い込んでも吸い込んでも、存在し続ける幻。
X月X日
今日の朝はなぜか軽やかな気分だ。ヤスパースを読みながら、窓の外を見る。空は灰色だ。小鳥が鳴いている。今日はレストラン花村へアルバイトに行く日。経理の仕事がたまっているはず。
花村へ行くと、お母さんが顔をほころばせてよろこんでくれる。三時間だけで仕事をすませ、喫茶店アリによる。芸術家だと自称するおじいさんと話す。八十六才だと言うが、六十才そこそこにしか見えない人だ。工芸家だそうで、今度県から表彰されると言う。
「僕の手を見てごらん」なるほど光沢がある。
「人間もあるていど緊張した生活をしていると指先まで生き生きとしてくる訳ですね」
「そうなんだよ」
「指先まで芸術家なんですね」私は彼の指先を見つめながら言う。
「モデルの仕事をもっとしたいんだったら紹介してあげますよ」彼は大家を何人となく知っていると言う。
「後で電話しますよ」
「ありがとうございます」
彼は喫茶店を出ていった。窓からは午後の日差しがあふれそう。その日差しを見つめながら、午後のひとときを過ごそう。夕方には家庭教師のアルバイトが待っている。
アリを出ようとしたら、レジの人が「先ほど先生がすませました」という。私は心の中で「ありがとう、おじいさん」と言い、夕方の街を家庭教師の家に向かった。
小学一年生のみちよちゃんが子供部屋で遊んでいる。お手伝いのお姉さんが運んできてくれたお茶を飲みながらお菓子をつまんで、二人でアンデルセンの人魚姫を読む。サディズムと決め付ける前に、生々しく美しい人間を見る。人間讃美と風刺が根底にあるのだろうか。欲望の大きさと心の優しさではなにものにも引けを取らない人魚は、最後にはキラキラと光る海の波の泡と化していく。
「みちよちゃんは作文がうまいのだから、人魚姫のあらすじを書いてみてくれない」
「あらすじって」
「あらすじってね、人魚姫を読まない人にでも分かるように、人魚姫のお話を短くまとめることよ」
「じゃ、みちよ、やってみるわ」彼女は鉛筆を持って、大きな瞳を閉じる。
(Greatly Skipped Here)
世界旅行―近代から現代へ
一 出発
誰の見送りもなく、マークと二人で、日本から出るともなく出ないともなく去って行く。というのは、飛行機とかで出るのではなく陸路、海路、九州から沖縄を経て台湾に行くことになるから。少しずつ日本を離れる準備をしながら去ることになる。マークとは70年前後のベトナム反戦運動で知り合った。東京から日本を縦断して沖縄に行き、そこから台湾、ホンコン、タイ、ラオス、ネパール、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラク、トルコとアジアを横断し、ヨーロッパに入る計画だ。ヨーロッパから米国へ渡るつもりだが、旅費はどこまで続くか分からない。
いよいよ出発だ。世界へ。日本と言うちっぽけな、しかも尊い国にぽつんと生まれてきた私が、人類の歴史を追体験したと自覚するにいたるまで、私を見守ってくれた人達、さようなら。母上、父上、さようなら。塙先生、熊田先生さようなら、原田君、それから大学の友達、さようなら。本多先生、水戸の梅本先生さようなら。姉妹、勝一さん、さようなら。それから誰でもいい、日本の皆様さようなら。
二 水俣
糸魚川から日本海を見て京都、岩国、それから九州へ。水俣では日本を出る前に会っておきたい人達がいた。水俣病の裁判闘争をしている川本さん達。日本の戦後の経済成長の歪みを一身に受けた人達。文字通り血まみれの戦いを通して、真実が勝利することに命を賭けている人達。
夏の終わりの水俣の街は、埃っぽく白々としていた。川本さん宅を訪ねると、川本さんはあまり私のことも聞かないまま、お茶とお菓子を出して歓迎してくれた。縁側に座って、前庭に咲いている晩夏の花を見つめながら、私は彼の話を一言も聞き漏らすまいと耳を傾けた。裁判が一応勝利してから、闘いの方向性をどうするのか、チッソ側の欺瞞性、犯罪性を身にしみて知っている川本さんは、彼らの唯一の論理、金の力ですべてが解決されるはがゆさを語っていた。
そのはがゆさ、苛立たしさを私も共有できるのだろうか、と頭の中で繰返しながら、その夜は遠見の家に泊まった。水俣映画の製作者の一人が滞在していた。
三 沖縄
沖縄丸で鹿児島を出、沖縄に向かう。沖縄は日本に返還されたのだから、日本の一部であるはずなのに、沖縄丸の船上から青い海を見つめていると、日本を出て行くのだと言う感慨が深くなる。あの国で、できるだけのことはしたのではないか。何の悔いがあろう。日本を飛び出していくことに心残りはないはずだ。
マイホーム族の住むマッチ箱のようなアパート群、さようなら。昔からのしきたりで人の目を気にしながら生きている姉上達、さようなら、将来何か本当によいことがあります様に。
高い波しぶきを浴びるようにして、私が水平線のかなたを見つめていると、マークが側に来て言う「沖縄はとってもいい所だ。何度来ても飽きない。海の底まで見えるし、人々はとても暖かい。米国に帰ってからもまた来てみたい所の一つだよ」
私はただ「そう」と言いながら黙って聞いていた。沖縄賛美と何回でも沖縄を訪れたいと言うマークの発言は、日本を出て行くという感慨にふけっている私を慰めようとするものに違いなかったが、私は慰めなど必要としているのではなかった。ただきっぱりとさよならを言いたかっただけ。
沖縄、那覇港に着く。沖縄は日本でも、米国の一部でもないという雰囲気。人々がとても親しみやすく、明るい国。どのような歴史を背負っているにせよ、人々が生き生きとしていて、とても楽しそうなのはなぜだろう。沖縄には二、三日の滞在だが、マークが言っていたように又来てみたくなる所だ。
貨物船USコロラド号で沖縄を出、明日台湾に向かう。沖縄で偶然一緒になったビルが旅の道連れとなる。ビルもやはり米人で、ベトナム戦争への良心的兵役拒否を申し出る米兵に対し、手続上の、あるいは心理上のカウンセリングをしていた。日本滞在を終えて今米国へ帰ろうとしている。時には逃亡兵もいたりして、ビルのカウンセリングは